「まだ80です」――母のがんと向き合って、家族として揺れた日々

「もう80」と言う医師、「まだ80」と言う母。ケアマネが家族になって思った事

看護師・ケアマネジャーとして働いてきた私は、親から病気の相談を受けることも少なくありませんでした。だから、いざ親の終末期や介護に向き合う場面でも、きっとうまく動けると思っていました。
でも実際に母ががんと診断されたとき、同じようにはいきませんでした。専門職として積み重ねてきた経験が、家族の立場になると、思うように働かないことがありました。

言えなかった言葉

これまで、医療・介護の現場で多くの終末期のご家族と関わってきました。病状の説明を受け、迷いながらも決断していく姿を、何度も目にしてきました。

でも自分が家族の立場になったとき、その経験が必ずしも助けにはなりませんでした。母にがんが見つかったときのことです。

診察室で病名を告げられたあと、母は少し間を置いてから先生にこう言いました。

「手術してください。直してください」

知識がある分、そのがんがどんな経過をたどり得るのか、手術の負担はどれほどか、頭の中でいろいろと考えてしまいました。でも「手術はしない方がいいかもしれない」「手術は難しいんじゃないか」といったことは、口にできませんでした。そう言うことが、母に「治療を諦めて」と伝えることになる気がしたからです。

「まだ80歳です」と言った母のこと

母はずっと肝っ玉母ちゃんでした。どんなことも「これも運命だね」と笑って受け入れる人だと、私は思い込んでいました。だからがんとわかったときも、「そうか、これが私の運命だったんだ」と静かに受け入れるのかと思っていました。

でも実際は違いました。「もっと生きたかった。こんなことになるとは思わなかった」と、母は悔しそうに話しました。

正直に言うと、私はいつの間にか心の中で受け入れてしまっていました。これまで多くの方の最期に立ち会ってきた分、自分の親にもいよいよその時が来たのだと、勝手に整理してしまっていたのかもしれません。でも母にとっては、まだこれからのつもりだったのです。私は母のことを、分かっているつもりでいただけでした。

診察室でのやり取りは、今でも覚えています。先生は年齢や体力のことも踏まえ、慎重に言葉を選んでいたのだと思います。先生が「もう80歳ですよね」と話したときのことです。

すると母は、間髪入れずに「まだ80です」と返しました。

不覚にも、笑ってしまいました。

医師はもう80歳と言って高齢女性がまだ80歳と言っている図

週末だけ、実家に通った日々

母の療養中、私は少しの間、週末だけ実家に通う生活をしていました。

金曜の夜、仕事を終えてから新幹線に乗り、約4時間かけて実家へ向かう。土日は母のそばで過ごし、身の回りのことをしたり、話をしたりして、日曜の夜にまた新幹線で自宅に戻る。体力的にも精神的にも負荷はありました。

その後、転移も見つかり、手術はできないという結論になりました。緩和ケアでの入院と在宅を繰り返す時期に入りました。並行して、要介護3の父については、急遽施設へ入所できるよう手配も進めました。

「お父さんを残して逝くとは思わなかったな」「私がお父さんを看取ると思い込んでたわ」

母はそうつぶやきました。

「85までは生きると思ってたけどね」

母はそう言って、少し間を置きました。

一時退院の日々

治療が難しいとの診断を受け、緩和ケアの準備を進めながら、母の希望で一時帰宅することになりました。急な展開で介護認定の結果が間に合わず、暫定で必要なのはベッドだけ。私は父の担当でお世話になっていたケアマネさんに「短い期間ですし、自費でベッドを借りようと思います」と伝えました。長くはない在宅期間のために、手続きの手間をかけては申し訳ないという、遠慮がありました。

すると、そのケアマネさんはあっさりとこう言いました。

「そんなの、気にしなくていいですよ。給付を使った方が、お母さまにとっていいベッドが借りられますから」

その言葉で、肩の力が抜けました。

退院後しばらくして、母は少しずつ段取りを始めました。自分が亡くなった後に必要なお寺への連絡や町内会への連絡方法、生前お世話になった方へどのタイミングでどの品物を送ってほしいか。最後は法要のお店まで決めて、兄と私に伝えました。弱気というより、残される側が困らないように、できることを自分の手で片づけておきたかったのだと思います。

「まだ80です」と言った人らしい最期でした。

あの人は、どんな気持ちだったんだろう

当事者になって気づいたのは、家族の立場になると、専門職としての経験や知識は思うようには働かないということでした。迷うのは当たり前で、気持ちはきれいに整理されるものではない。これまで関わってきたご家族も、きっと同じだったのだと思います。

「65歳で逝ったあの人は、どんな気持ちだったんだろう」。かつて関わった方々のことをふと思うことがあります。