埼玉の立てこもり事件を受け 今、国・自治体・業界は何をすべき?

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報道を見て、恐怖を感じた──そうした声が介護従事者からも上がっています。訪問診療医が痛ましい犠牲となった、埼玉の立てこもり事件についてです。ハラスメントなどの域を超えた「特異な事件」ではありますが、訪問系の現場への不安は広がっています。

訪問系サービスの萎縮が進んでしまう懸念も

この事件は、高齢患者の死亡後、その息子から焼香のために呼び出された訪問診療医が猟銃で殺害されたものです。一連の報道によれば、息子による「呼び出し」は介護事業者にもかかっていたということです。

今回のような事件が生じた背景については、これからの取り調べや裁判等で徐々に明らかになるでしょう。それまでのセンセーショナルな報道等は、かえって現場の不安をあおりかねないという懸念もあるかもしれません。

しかし、事件の大きさゆえ、「密室となりやすい(場合によっては逃げ場の確保も難しくなる)訪問現場」に与える影響はすでに深刻です。国として何らかの方針を強く打ち出さない限り、訪問系サービスの萎縮はさらに進み、重要な社会資源の根幹が崩れかねません。

確かに事件そのものは、冒頭で述べたように「極めて特異」ではあります。一方でリスクマネジメントの観点でいえば、「特異なケース」が1つ発生すれば、水面下で「訪問従事者が恐怖を感じる」というケースが一定以上生じている──という観測も必要になります。

介護・医療従事者を「守る」ための法律を

まず必要なことは、全国自治体を通じた実態調査です。利用者・家族等によるハラスメント(カスタマー・ハラスメント)に対する調査研究はありますが、あくまで傾向をつかむためのデータ収集にとどまっています。また、今回のような事件は一般的なカスタマー・ハラスメントとは状況も異なります。

重要なのは、現場が「身体上の安全が損なわれる」などの強い恐怖を感じるケースについて、正確な実態を全国レベルで把握することです。それがベースとなってこそ、たとえば「警察や司法関係の機関」との制度的な連携も全国一律で円滑に築くことができます。

もちろん、そうした調査を全国自治体に義務づけるには、根拠となる法律が必要です。高齢者虐待については、高齢者虐待防止法にもとづいて「市町村による事案の把握や対応」が義務づけられています。同様の措置を国会制定法で位置づけるわけです。

具体的には、介護・医療従事者の地位と安全を確保することを目的とした法律(地位・安全確保法など)などが考えられます。そこで、国や自治体、あるいは他の行政機関(警察等)の責務を明確にします。国の責務も明確にすることで、調査や対策にかかる費用の予算措置なども立てやすくなるはずです。

現場従事者を「守る」しくみは、実はぜい弱

ちなみに2021年度改定では、運営基準上で「職場のハラスメント」に対する事業所の責務が定められました。しかし、あくまで省令上での事業者の責務(つまり、介護保険法等の国会制定法で定められたものではない)にとどまります。カスタマー・ハラスメントについても、セクハラ以外は「推奨」まで。さらに、従事者の安全確保を制度面で直接的に保障したものでもありません。

この現状だけを見ても、実は従事者の地位や安全、権利をしっかり守るという制度上のしくみは未だぜい弱です。これでは、介護従事者不足の問題なども根っこから解決する土台は築かれません。土台が築けていないのに、ツギハギの処遇改善策などを上乗せしても効果はなかなか上がっていきません。

まずは、多くの業界・職能団体、労働団体が、今回の事件についてきちんと声明を出し、現場従事者の安全確保に向けた体制づくりを国に提言していくことが必要です。そのうえで、超党派での議員立法などにつなげていくという道筋を考えたいものです。

今事件を生み出す構造的な要因にも注意を

もう一つ考えたいのが、今回のような事件を「特異な人物が起こした、特異なもの」と片づけるだけでよいかという点です。もちろん、刑事事件として容疑者はしっかり裁かれるべきですが、同時に、そこに構造上の問題はないかなどについてスポットを当て、社会的なリスク分析を図ることも求められます。

現時点の報道では、加害者に「自死願望もあった」とされています。「自死願望」と「他者への攻撃」が必ずしも組み合わされるとは言えませんが、少なくとも「自死願望」を生み出す要因への手だてを尽くすことで、事件へのトリガー(引き金)を抑えられる可能性もあるのでは──その観点での施策強化(対応専門チームを組織する等)も必要でしょう。

その場合、(1)先の従事者の安全確保を法的に位置づけ、(2)連携対応などを強化し、そして(3)上記の「自死願望」への対策を図る──この3つの施策の同時展開が前提となります。1つ1つをバラバラに進めていくのではなく、一体的に行なうことで、それ自体が現場の安心に向けたメッセージにもなります。

仮に今回のような事件が連鎖すれば、コロナ禍で疲弊する訪問系の介護・医療現場は一気に崩れかねません。それだけの危機感が求められる事件であるという認識が必要です。

◆著者プロフィール 田中 元(たなか はじめ)

昭和37 年群馬県出身。介護福祉ジャーナリスト。

立教大学法学部卒業後、出版社勤務。雑誌・書籍の編集業務を経てフリーに。高齢者の自立・ 介護等をテーマとした取材・執筆・編集活動をおこなっている。著書に『介護事故完全防止マニュアル』 (ぱる出版)、『ホームヘルパーの資格の取り方2級』 (ぱる出版)、『熟年世代からの元気になる「食生活」の本』 (監修/成田和子、旭屋出版) など。おもに介護保険改正、介護報酬改定などの複雑な制度をわかりやすく噛み砕いた解説記事を提供中。