
2025年度予算にも組まれていた「高額療養費にかかる負担上限の引き上げ」が、がん患者団体等の反発によって「当面見送り」という方向転換が図られました。世論をゆるがしたこの施策課題ですが、一方で思い起こされるのが「介護保険における負担増の議論」です。
負担増議論のさなかに当事者団体が要望書
高額療養費にかかる月あたり負担上限引き上げの経緯を改めて整理しましょう。
もともと高額療養費制度の検討については、2022年12月に経済財政諮問会議が決定した「新経済・財政再生計画改革工程表2022」で示されていました。2023年12月には、前内閣時の全世代型社会保障構築本部が「全世代型社会保障構築を目指す改革の道筋(改革工程)」を定め、その中で「工程表2022」の決定を受けて、「世代間・世代内での負担の公平」を図る観点から見直しが明記されています。
この改革の流れを厚労省が引き継ぎ、2024年末にかけて、社会保障審議会医療保険部会で「負担限度額の一定程度の引き上げ」が議論されました。ここでの厚労省側の引き上げ案に対し、患者側の不安が一気に高まります。
12月24日には全国がん患者団体連合会(以下、全がん連)が同27日には、日本難病・疾病団体協議会が、それぞれ厚労省への要望書を提出。負担限度額の引き上げの軽減、および影響緩和策を求めていました。
衆議院通過の予算案も参議院で異例の修正
こうした要望にもかかわらず、政府は2025年8月から3段階に分けての引き上げを決定。医療保険部会では、引上げによって財政負担がどれだけ減るかといった試算も示され、2025年度予算が組まれました。
ちなみに、この時点で決定された内容では、年収約370~770万円の人で、2025年8月からはプラス10%の引き上げとなります。
この内容に、先の当事者団体等が強く反発。全がん連が年明けに実施した患者アンケートでは、「負担が高くなれば、(今は効果が出ている)がん治療を中止しようと考えている」といった切実な声も上がっていました。
国会の予算委員会でも、野党は「引上げの延期」を要請。これに対し、政府は多数回該当(12か月以上限度額に達した場合に4回めから引き下げるしくみ)については据え置くとしましたが、2025年度予算案はそのまま3月5日に衆議院を通過しました。
結果、当事者の不安・反発はおさまらず、首相ががん・難病の患者団体と面会したうえ急きょ「8月からの引き上げ見送り」を表明する事態に。すでに衆議院通過の予算案も参議院で修正、衆議院でも再質疑が行われます。
患者のリスクに真摯に向き合わなかった結果
今回の高額療養費制度にかかる見直しは、完全に撤回されたわけではなく、現時点では。あくまで「8月の引き上げ」を見送ったというものです。とはいえ、首相が患者団体と面談したうえで、いったん衆議院を通過した予算を修正するに至った流れは異例でしょう。
がんや難病の患者およびその家族の中には、現役世代や小さな子どもを育てながら治療にのぞむといった人も多く、「自己負担の引き上げ」は、治療のみならずさまざまな生活困難に直結するリスクが想定されていました。そうしたリスクに真摯に向き合うことなく、引上げ議論を続けたことが、今回のような混乱につながった大きな要因と言えるでしょう。
ここで、振り返りたいのが「介護保険における負担増」についてです。こちらも制度開始以来、数多くの負担増が行われてきました。
がんや難病のように、負担増で「治療控え」が行われれば即命にかかわるといった状況と比べるのは難しいかもしれません。しかし、たとえば負担増からサービスに代わって家族が介護し、「介護離職」等が誘発されれば、現役世代も巻き込んだ「さまざまな生活困難リスク」に直結するという状況は同じです。
若い世代にも「介護」にステークホルダーが
2027年度の制度見直しに向けては、2割負担者の拡大やケアマネジメントへの利用者負担の導入など、さらなる負担増が論点に浮上してくるのは確実です。そこで重要になるのは、やはり利用者やその家族といった当事者が抱えるリスクに、国がどれだけ真摯に向き合えるかという点に尽きるでしょう。
政府としては、「現役世代にとっても緊急性の高いがんや難病にかかる課題」と「高齢者が中心となる介護の課題」は「別」という認識があるかもしれません。しかし、その「緊急性」が高く、多くの「現役世代」に絡むリスクにも向き合うことができなかったことが予算修正まで引き起こしたのは事実です。
そこで失った社会保障制度への信頼を取り戻すには、負担増の影響を受ける当事者に向き合う方法・機会という、施策分野や世代にかかわらぬ「施策決定の横軸の基本」を見直すことを先決とすべきではないでしょうか。上記のように「緊急性や世代が別」という認識が底辺にある限り、それは「高齢者だから…」「現役世代だから…」といった不毛な「世代間対立」をミスリードしかねません。
若い世代にも、ヤングケアラーやダブルケアラー、ビジネスケアラー、さらには現場でサービスを提供する従事者という、介護保険にかかるさまざまなステークホルダーがいます。若い世代の中のそうした声にもきちんと向き合う機会を持てるかどうかを、今後の負担増議論の軸としてしかるべきでしょう。

◆著者プロフィール 田中 元(たなか はじめ)
昭和37 年群馬県出身。介護福祉ジャーナリスト。
立教大学法学部卒業後、出版社勤務。雑誌・書籍の編集業務を経てフリーに。高齢者の自立・ 介護等をテーマとした取材・執筆・編集活動をおこなっている。著書に『ここがポイント!ここが変わった! 改正介護保険早わかり【2024~26年度版】』(自由国民社)、 『介護事故完全防止マニュアル』 (ぱる出版)、『ホームヘルパーの資格の取り方2級』 (ぱる出版)、『熟年世代からの元気になる「食生活」の本』 (監修/成田和子、旭屋出版) など。おもに介護保険改正、介護報酬改定などの複雑な制度をわかりやすく噛み砕いた解説記事を提供中。