介護従事者への「特定最低賃金」の適用。 にわかに浮上した論点とその課題

介護従事者に「特定最低賃金」を適用する──多くの報道でご存じの通り、介護現場の賃金改善に向けて浮上してきた論点です。3月17日の参議院予算委員会で、国民民主党の議員が石破総理大臣に提案。その後、与党内でも導入を検討することで一致し、厚労大臣も会見で検討に前向きな姿勢を示しました。

浮上している「特定最低賃金」とは何か?

まず、「特定最低賃金」とは何かを確認しましょう。ひと言で言えば、特定の産業について設定されている最低賃金です。

関係労使の申し出にもとづき、厚労省の最低賃金審議会が「地域別最低賃金(地域ごとに設定される最低賃金)よりも高い最低賃金の定めが必要」と認めた場合に、対象となる産業分野で最低賃金が引き上げられます。

全国設定されるものと、都道府県ごとに設定されるものがあり、前者では鉱業法に指定された事業で働く65歳以上の労働者などに適用されています。一方、後者ではより多様な職種への適用が見られ、鉱工業のほか小売業などを対象とするケースもあります(現状で、介護福祉関連は対象となっていない)。

なお、日本介護クラフトユニオン(NCCU)が2023年に策定した「NCCU介護産業政策」の中で「介護産業の健全な発展」のための中期・長期の取り組む9つの政策の1つとして取り上げています。また、冒頭で紹介した予算委員会での議員提案では、「地域別最低賃金1,500円の全国平均に近づけていくため、骨太の方針に明記する」と求めています。

実現に向けたハードルはどうなっている?

ちなみに、この特定最低賃金に使用者が違反した場合の罰金は30万円で、地域別最低賃金での罰金50万円よりは低いですが、民事的な効力は同じです。つまり、特定最低賃金に満たない賃金を定めた労働契約は無効となります。その点では、介護従事者の賃金改善への一歩になるのは間違いありません。

もちろん、これはあくまで「最低賃金」のしくみですから、特定最低賃金の設定によって目覚ましい賃金改善が進むとは限りません。しかし、少なくとも、介護従事者の処遇改善議論を活発化させる契機となるでしょう。

問題は、実現に向けたハードルは決して低くないことです。何より地域別最低賃金と異なり、関係する業界の労使による労働局長への申し出が必要です。この申し出は、労働協約(賃金の最低額に関する合意)の当事者となる労働組合または使用者のすべての合意におって行われなければなりません。

厚労大臣の記者会見(3月21日)では、労使からの意見聴取や特定最低賃金の実態調査などをまず行なう旨が示されました。もっとも、できるだけ実現へのスピードアップを図るには、既存の最低賃金法を改正したり、介護従事者等の処遇改善を明記する新法を制定するなどの立法措置も必要になりそうです。

最低賃金を引き上げるだけでは意味がない?

ここまで特定最低賃金について述べてきましたが、読者の中には「諸手をあげて賛成というわけには行かない」という人もいるかもしれません。何より倒産・撤退件数が急増している介護業界において、最低賃金をあげることで、中小事業者の中での経営の行き詰まりがさらに助長される可能性もあるからです。

となれば、特定最低賃金を適用すると同時に、それに見合う介護報酬(特に基本報酬)引き上げを同時進行させることが不可欠です。

先に述べたように、そもそも最低賃金を引き上げただけでは、介護従事者の賃金改善を実現することはできません。最低賃金を引き上げても、それに近い賃金しか手にできない人のすそ野が増えては意味がないからです。

たとえば、職種(事務職など)や保有資格(介護福祉士の未取得者など)によっては、最低賃金ぎりぎりの給与しか手にしていない従事者もいます。このあたりは、先のNCCUの実態調査などでも明らかになっています。こうした状況がある限り、介護報酬の引き上げが本筋であることに変わりはありません。

介護報酬引き上げの「根拠」とするために

だからこそ、「最低賃金を引き上げるなら、介護報酬の引き上げをセットにしなければならない」という筋道のもと、特定最低賃金の導入を介護報酬引き上げの根拠とする──これが、本来の政策目的となるわけす。

業界からは「期中改定」を求める声も強く上がっています。しかし、3年ごとの改定ペースを前提とした今の議論の流れでは、政府に重い腰を上げさせるのは容易ではありません。この状況を打開するには、何かしら「腰を上げざるをえない」という施策上の強い義務が生じる環境を作らなければなりません。それが、特定最低賃金の適用となります。

ただし懸念されるのは、政府が「特定最低賃金の導入に前向き」となる一方で、「それで介護現場への配慮を尽くした」という一種の“アリバイ”が浮上することです。まさかそれで「打ち止め」とはならないでしょうが、報酬引き上げという財政拠出に持ち込みたくないという施策側の心理が強ければ、その「まさか」が生じないとも限りません。

今後、特定最低賃金の適用論はどこまで盛り上がるか不透明です。いずれにしても、業界全体として「介護報酬引き上げとセットにしなければ意味はない」という考え方を、どこまで貫けるかが問われることになります。

◆著者プロフィール 田中 元(たなか はじめ)

昭和37 年群馬県出身。介護福祉ジャーナリスト。

立教大学法学部卒業後、出版社勤務。雑誌・書籍の編集業務を経てフリーに。高齢者の自立・ 介護等をテーマとした取材・執筆・編集活動をおこなっている。著書に『ここがポイント!ここが変わった! 改正介護保険早わかり【2024~26年度版】』(自由国民社)、 『介護事故完全防止マニュアル』 (ぱる出版)、『ホームヘルパーの資格の取り方2級』 (ぱる出版)、『熟年世代からの元気になる「食生活」の本』 (監修/成田和子、旭屋出版) など。おもに介護保険改正、介護報酬改定などの複雑な制度をわかりやすく噛み砕いた解説記事を提供中。