2021(令和3)年度の厚労省の補正予算案が示されました。介護現場にとって注目は、言うまでもなく「2022年2月から収入を3%程度(月額9000円)引き上げる」措置です。介護職以外の賃金引上げも視野に入る中、具体的にどのような方法がとられるのでしょうか。
「柔軟な運用」といえば、前例は特定加算
今回の補正予算案は、11月19日に閣議決定された「コロナ克服・新時代開拓のための経済対策」にもとづくものです。この対策内でも「他の職員の処遇改善に、この処遇改善の収入をあてることができるよう、柔軟な運用を認める」旨が示されていました。
「柔軟な運用」といえば、思い起こされるのが介護職員等特定処遇改善加算(以下、と規定加算)です。この加算では、「経験・技能のある介護職員」への重点化が図られましたが、他の介護職員および他職種の処遇改善にもあてることができるような「柔軟な運用」が認められました。このしくみとダブります。
事業者団体からは、申請手続きの負担軽減を念頭に、「特定加算への統合」を求めています。これも、今回の「柔軟な運用を認める」という趣旨を受けたものと考えられます。
特定加算と異なるのはターゲットが広いこと
問題は、事業者の「柔軟な運用」を認めたとして、主ターゲットとなる介護職のすべてに対して、「月9000円の賃金改善」が実現するかどうかです。「柔軟な運用」の結果として、多くの介護職について「9000円よりも低くなってしまう」ということになれば、せっかくの施策も看板倒れになりかねません。
ちなみに、特定加算では、経験・技能のある職員のうち、少なくとも1人以上は「月額平均8万円以上の賃金改善等」が規定されています。そのうえで、それ以外の介護職やその他の職種に配分するしくみです。
これにより、同じ介護職間でも「賃金格差」が生まれるという懸念は今でも課題の一つです。とはいえ、たとえ1人でも「月額8万円以上等の賃金改善」が図られるという点では、(組織内格差の問題はあるのにしても)一応は明確なターゲットが設定されています。
ところが、今回の施策においては、現段階で設定されているのは「介護職」です。今後、何らかのターゲットの絞り込みが行われないと、「月9000円の賃金改善」の対象となるすそ野は一気に広がることになります。
9000円増は入口として、その後の道筋は?
施策ターゲットが一気に広がるとなれば、それ以外の職種への配分は限られてきます。それだけ、「柔軟な対応」にかかる事業者の裁量範囲は狭まることになります。
これを防ぐには、「介護職全員の賃金を月9000円アップさせる」ための配分とは別に、「柔軟な対応」の対象となる「他の職員の賃金アップ分」を別に確保しなければなりません。これを来年の2月から「公的価格の抜本的見直し(介護報酬の期中改定などが想定される)」が実施されるまで実施するとなれば、今回の補正予算だけでは足りないでしょう。
考えられるのは、すでに概算要求が出ている来年度予算でも、継続して計上することです。それが行われず、仮に今回の補正予算だけでの手当てとなれば、「月額9000円アップ」をうたいながら、実際に職員に手元に入るのは「それ以下の金額」となる恐れも生じます。
もちろん、「月9000円アップ」はあくまで「つなぎ」であり、これを土台に公的価格の抜本的見直しを図るという流れなのでしょう。とはいえ、公的価格評価検討委員会の議論の取りまとめは、来年の半ばになる可能性もあります。さらに、期中改定となれば、社会保障審議会の議論を経る必要も出てきます。
政府が「公的価格の抜本的な見直し」とうたうからには、より強いトップダウンで進められるので──と考える人もいるかもしれません。しかし、少なくとも介護保険の財源を使うのなら、社会保障審議会の頭越しに改革を進めることはできません。それをするなら、介護保険法を改正しなければなりません。
「とにかく上がる」だけでは生活設計は困難
いずれにしても、「本当にすべての介護職が月9000円アップの恩恵を受けられるのか」、そして「その後の具体的なアップの道筋と実際の金額はどれくらいになるのか」は、依然としてぼんやりとしたままです。
国としては、現状では「とにかく上がる」ことを確約すれば十分と考えているのかもしれません。しかし、介護職にもそれぞれ生活があり、家庭を築いたり将来設計を行なわなければなりません。「月9000円」という金額の大小には議論もあるでしょうが、それ以上に大切なのは「どのような金額であれ、それが確実であること」、そして「その後の処遇改善の工程がはっきり見えていること」です。
今回の予算案は、補正予算としては過去最大規模となります。それだけのお金をかけるのであれば、「将来自分たち国民に一定のツケが回ることになっても、今は仕方ない」と納得できるだけの確信が必要です。そのためには、少なくとも「柔軟な運用」にかかる具体的な規定を同時に示すことが求められます。
これまでのコロナ禍で疲弊しつつ、次の感染拡大も想定した備えにのぞまなければならない──これが今の現場状況です。そこに光をともすためには、国としてどのような発信が必要なのか。間もなく始まる国会審議を通じて、明らかになるのでしょうか。
◆著者プロフィール 田中 元(たなか はじめ)
昭和37 年群馬県出身。介護福祉ジャーナリスト。
立教大学法学部卒業後、出版社勤務。雑誌・書籍の編集業務を経てフリーに。高齢者の自立・ 介護等をテーマとした取材・執筆・編集活動をおこなっている。著書に『介護事故完全防止マニュアル』 (ぱる出版)、『ホームヘルパーの資格の取り方2級』 (ぱる出版)、『熟年世代からの元気になる「食生活」の本』 (監修/成田和子、旭屋出版) など。おもに介護保険改正、介護報酬改定などの複雑な制度をわかりやすく噛み砕いた解説記事を提供中。